月見を買いに

 十月に入ってまだ間もないある日、久しぶりに二人の休日が重なった。
 特に予定もなかったので、二人して思う存分朝寝坊を決めこみ、さすがに寝ぎたないやろ、とようやく身体を起こしたのは十一時をまわったころ。シャワーを浴び、遅めのブランチをとり、家事を済ませ、ソファーに移動したあとは、ゲームに読書にとお互いに好きなことをしてダラダラと過ごした。
 そんな折だった。

「もう十月か……そろそろ月見を食べ納めしないとだな」

 それまでゲームに没頭していた鳴海さんが、突然ぼそりと口にしたのだ。
「なんですか、急に。食べ納めって。というか、鳴海さんってのちの月もやる人やったんですね。知らんかったわ」
「のち? いや例年どおりなら、たしか十月半ばまでだったろ」
「ええ、今年はたしか十五日です」
「なんだ、詳しいな」
「毎年実家でやってましたからね。日付を確認する癖がついてもうてて」
「……実家?」
 いぶかしむ声に文庫から視線を上げる。一メートル先にいる鳴海さんを伺うと、向こうも同じようにこちらを見ていて、視線がかちあった。
 鳴海さんの顔にハテナが浮かんでいる。
「ちょっと待て、宗四郎。おまえいま、なにについて話してる?」
「なにって、やからお月見の話でしょ」
「違う、月見バーガーの話だ」
「月見バーガー? なんなん急に。ハンバーガーのこと?」
「マジか」
 鳴海さんの目が驚愕に見開かれる。まるで未知なる生物に遭遇したかのような顔だ。けれど、僕には月見とハンバーガーの接点が思い浮かばない。どちらも丸いっちゃ丸いけども。月見と言ったら団子に栗、豆やろ……?
「え、全然わからへんねんけど」
 首をかしげると、鳴海さんが手にしていたポータブルゲーム機を置いて、勇ましく立ち上がった。なぜか出撃前の様相に近い。あまりの勢いに気圧され、目を白黒させる。
「行くぞ」
「行くって、どこにですか?」
「月見を買いに、だ」

 それからわずか二十分後、鳴海さんと僕はアルファベットのエムがトレードマークの某有名ハンバーガーショップのまえにいた。
 店は鳴海さんのマンションから徒歩圏内、いつも立ち寄るスーパーのすぐそばにあった。近くを何度も行き来し、視界にも入っていたはずなのに、まったく気がついていなかった。
 僕はこの世界一有名なハンバーガーショップに行ったこともなければ、ハンバーガーを食べたこともない。保科はジャンクフードを食べない家だったし、学生時代も同級生たちがファストフード店へ行く放課後や休日はずっと道場にこもって稽古に明け暮れていた。自ら遠ざけていたわけではないし、同級生を羨ましいと思うこともあった。けれど、いつでも好きなときに行けるようになってからも、なんとなく足が向かずに、ことごとく機会を逃して現在いまに至る。
 そういうわけなので、じつはくだんのハンバーガーショップには長年にわたりずっと興味があったのだ。月見バーガーとやらも気になる。鳴海さん曰く「食べておいて損はない」そうだ。そんなんますます気になるやんか。
 そう、興味はあるのだ。行ってみたいとも思う。けれど、今日のこれはなあ。こんなはずやなかってんけどなあ。
「……なぁ、鳴海さん。ほんまに行くん?」
「ああ」
「めっちゃひと並んでるけど」
「それを見越しての変装だろ。こんだけやったんだから、まぁ大丈夫だって」
 謎の自信に満ちた鳴海さんに、さらに不安が募る。
 恋人相手にこんなことを言うのもなんだが、キャップの上からパーカーのフードを被り、どデカいサングラスに黒マスク装備の鳴海さんは、いかにもザ・変装してきました! な風貌で、一歩間違えれば不審者にしか見えない。恋人フィルターが幾重にもかかっているのは自覚しているので、おそらく一歩間違えなくても不審者にしか見えない。かくいう僕も同じようなもので、彼との違いはキャップがバケットハットに変わったくらいだ。
 近所やからってなんで鳴海さんの服で来てしもたんや、僕。
 ほら行くぞ、と投げられた服を勢いでそのまま着てしまった。つまるところ、ペアルックじみた変装不審者カケル二が、混みあうハンバーガーショップの店先でコソコソしているのだ。どう考えたって目立つに決まっている。
「あかん、やばいって。さっきから入り口の女子高生にチラチラ見られとるし」
「宗四郎が落ち着きなくソワソワしているからだろ。堂々としていれば、あ、なんかヤバいやつら来たあんま見んとこ、くらいにしか思わん」
「自分でヤバいって言うてもうてるやん」
「そこは否定しない」
「わ、わかった。ほな折衷案にしよ。僕が買いに行ってくるから。鳴海さんはここで待っといてよ」
「はい? なんでそうなる……おまえ、支離滅裂になってるぞ」
「うぅ」
 おかしなことを言っているのは重々自覚している。けど、でも、二人で突撃するのはさすがにどうだろう……。もだもだと悩んでいる僕に、鳴海さんが店内を指し示す。
「ほら見てみろ、いまは注文もセルフオーダーでタッチパネル式なんだぞ。セットとかドリンクとか、ちゃんと注文できるのか?」
「僕かて注文くらい」
「注文くらい?」
 サングラスの奥からじっと見つめられる。たしかに鳴海さんの言うとおり、慣れていないデジタル系の操作はてんでダメだ。
「だぁぁあやっぱ無理! 弦くんついてきて」
「だから、一緒に行くって言ってる」
 満足気に口角を上げ、堂々と歩いていく鳴海さんを慌てて追いかける。どうか、どうか騒ぎにならずスムーズにことが進みますように、と僕は万感の思いを込めて祈った。
 鳴海さんにつづき店内に一歩足を踏み入れると、とたんに油の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。なるほど、これはなかなかに食欲が刺激される香りだ。
 外から見ていたとおり、店内はひとで溢れかえりひどく混雑していた。鳴海さんの背中にくっつき、そそくさとタッチパネルへつづく列に並ぶ。周囲にいた人々の視線が一斉にこちらを向いた、ような気がした。いますぐ踵を返して帰りたくなったが、縮こまりながら平静を装う。大丈夫大丈夫、気のせい気のせい。道端の岩になりきって黙りこくったまま数分を過ごし、ようやく自分たちのオーダーの番になる。
 情報過多で難解なタッチパネルを前にして、僕のキャパは完全にオーバーした。なにがなんだかさっぱりわからない。これはあかん。そう思って隣を見ると、瞳にやわらかな光を宿し、愛しさを隠そうともしていない鳴海さんと目があった。この顔は、完全にプライベートで、二人きりのときにしか見せない顔だ。なんで、ここでそんな顔して……。一気に頬が熱くなる。なんとか誤魔化したくて、
「鳴海さん、はよして」
 と小突きながら小声で急かすと、なにが楽しいのか鳴海さんが上機嫌で笑う。
「わかったわかった。で、宗四郎はどれにするんだ」
「……月見」
「月見も三種類ある。ノーマルか、チーズか、あと今期の新商品」
「それにする」
「ん、サイドメニューは?」
「サイドメニュー? これ、このサラダ」
「サイドメニューでサラダを選ぶタイプか」
「なんなん。ええやん、べつに。あ、ドレッシングはこの玉ねぎのがいい」
「ドリンクは?」
「アイスコーヒー」
「だと思った」
 そう言って嬉しそうに笑う。なにを言ってもいちいち楽しそうなので、緊張している自分の方がおかしいんじゃないかとすら思えてきた。
 鳴海さんは瞬く間にパネルを操作すると、あっという間に注文と清算を終えてしまった。隣で見ていても早技で、最後にレシートらしきものが出てきていたが、なにがどうなってそうなったのかまったくもってわからなかった。意地を張ってひとりで来なくて本当によかったと思う。
 番号が呼ばれるまでは待機らしく、なるべく目立たない店の隅に二人で移動する。
「なぁ、すごすぎん? プロ?」
「なんのだよ。あそこの画面に注文番号が表示されたら、受け取りにいってしまいだ」
「こんなんハイテクすぎるわ。ついていけへん」
「ハイテクの極みでもあるナンバーズ着用者の言う台詞か? まあでも、だったら宗四郎はこの先も毎回ボクと来るしかないな」
 鳴海さんが平然と言ってのけた。僕はうつむく。悔しいことに、いまのでズキュンと胸を抉られときめいてしまったのだ。こうなるともうなにも言い返せない。自分ばかりが翻弄されているようで、腹が立ってきた。
「……ほんなら僕は、この先も覚えられへんしずっと苦手なままですね。いつまで経っても一人でオーダーできひん」
 ほんの少しの拗ねと甘えを込めてぼやくと、「それでいーんだよ」と、隣の男の機嫌がさらにわかりやすく跳ね上がった。

 注文の品を受け取り、ゆっくり歩いて帰路に着く。夕飯にはずいぶん早いが、せっかくなので熱いうちに食べようと二人でダイニングテーブルを囲む。
僕のは新商品の月見で、鳴海さんはチーズの月見だ。なるほど、月見っていうのは玉子を月に見立てとるわけか……と、ここにきてようやく合点がいく。
 いよいよハンバーガーデビューである。思った以上にかさがあるので、大口を開けてかぶりつく。
「どうだね、宗四郎クン。はじめてのハンバーガーの味は」
「……ん! ンン!? ちょっと待って、なにこれッ。めっちゃ美味いやん!」
「そうだろそうだろ〜」
 鳴海さんは誇らしげにふんぞり返り、
「しかたない。ポテトも食べていいぞ」
 とポテトを僕の方によこしてくれる。「いただきます」と手を伸ばし、ひと口食べて、僕はまた途方もなく感動する。
「なんなん、このポテト! めっちゃ美味い!」
「だろう。もっと食え。ほら、サラダもある」
 とくに機嫌がいいときの鳴海さんは、基本的に甘やかしの、構いたがりだ。あまりに過度だとさすがに照れもするが、それもまた嬉しかったりする。本人には口が裂けても言えないが、こうやって甘やかしてくれる鳴海さんは僕だけの特権だからだ。
 はじめてのハンバーガーの味に感動しながらひとしきり食事を堪能し、胃袋も心も満たされた気分になる。変装はどうかと思ったが、鳴海さんと二人で外を歩いたのも思えばずいぶん久しぶりだった。あれはあれで悪くはない。はめを外したようで楽しかった。
 窓の外ではいよいよ太陽が沈みかけていた。貴重な休日ももうすぐ終わりを迎える。明日からはまたそれぞれの場所で、任務をまっとうすることになる。
「……もっとはよ食べておけばよかったな」
 感傷的になりぽつりとつぶやくと、スマホを眺めていた鳴海さんがふと顔を上げた。目があった瞬間に、顔をほころばせる。
「安心しろ。月見は間違いなく来年も出るし、十一月の終わりにはグラコロっていうグラタンコロッケのバーガーも出る」
 差し出されたスマホの画面には「グラコロ」と見だしのついたハンバーガーの写真があった。
「グラタンコロッケ? そんなん絶対美味しいやん」
「美味いぞ。つぎは持ち帰りじゃなく、店内で食べるか? マックでデートがしたかったんだろ?」
 言われて、ふと考える。
「デートというか、放課後にマクド行くのって青春ぽいやないですか。そういうの全然せえへんかったから、ちょっとはやっといたらよかったなって」
「……ふーん。なんならボクが制服を着てやってもいいんだぞ。高校は学ランだった。探せばまだどっかにあるんじゃないか」
 鳴海さんは少し思案したあとに、ニヤけながらとんでもないことを口にした。急になにを言うてんのこの人。僕は思わず吹きだした。
「鳴海さんが制服? ふふ、いま着たらただのコスプレやで。第一の鳴海隊長と第三の保科、制服コスプレで某ファストフードに来店! やはり二人の関係は、ビジネス犬猿なのか!? って見だしつけられて一気に拡散やわ」
「家でならいいのか? 制服」
「ちょ、もう制服からいったん離れてや」
 犬も食わないようなじゃれあいを楽しんでいた、このときの僕らはまだ知らなかった。

「どうしようヤバい。すごいもの見た。鳴海隊長と保科副隊長がマックでペアルックデートしてたんだけど!? 鳴海が保科さんのオーダー全部やってあげててめっちゃスパダリ。保科さんもずっとくっついてるし。意外すぎ。ラブラブでこっちが照れた」

とSNSですっかり拡散され、僕たちの仲がトレンド入りを果たし、バズり倒していることを。

end
月見バーガーの季節に書きました。ペアルック変装が好きです。中高生みたいなデートをしてほしい(願望)。
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