宵どれ九十七番

 目の前にはルビーのように輝く艶やかな赤身の肉塊。よっしゃ、まかしとき。僕が丹精込めてじっくりグツグツ美味しく調理したるからな。

「ほな。保科流スペシャルクッキング、はじめよか」

 まずはオーブンにスイッチを入れます。ピッとして、予熱で二百度にあっためとくんやで。ほなら、つぎ。早くも本日のメインの登場や。常温に戻したこの肉塊、近所の肉のハヤマサで購入したばかりの厚さ五センチ、牛肉赤身モモ肉、五百グラム、奮発しました四千円也――に、ちぎったローズマリーと粗挽き黒コショウをモミモミとすり込み、スライスしたニンニクを乗せておく。このとき、美味しくなりますように〜、とまじないをひと匙かけておくのもお忘れなく。このひと手間、やるかやらんかではえらい違いなんやで。
 さて、熟成中の肉塊とはしばしお別れをして、肝腎要の塩釜づくりに取りかかりましょ。
 まずはボウルに卵二個分の卵白を入れ、メレンゲ状になるまで泡立てます。卵黄はあとでソースにするから取っといてな。時短するなら泡立て器を使つこてもええねんけど、今日みたいに無心になりたい日は手作業にかぎる。軽く泡立ったら、そこへ一キロの塩を三回に分けて入れ、なめらかになるまでゴムべらで混ぜあわせてな。
 ん? なんやねん……あぁそう。ハイハイ、わかりましたよ、と。
 このように途中で腹立つことがあっても、食材に罪はないからな。悪いのは全部あの……いや、まぁええわ。とにかく乱暴したらあかんで。あくまで丁寧に優しくがポイントや。
 チーズを肴に赤ワインをあおり、気持ちを落ち着かせたら、オーブンの天板の上にアルミホイル、オーブンシートを敷くで。ほんで、その上に先ほどの塩釜ペーストのうち四分の一を塗り広げていってな。これが塩釜の土台になるからな。だいたい一、二センチくらいの厚みになるようにしてな。
 ほしたら、常温で熟成させといた肉塊ちゃんに再登場してもらおか。肉塊に香りづけのローリエの葉っぱを数枚乗っけたら、ゆがいたレタスで隙間なく覆って包んでやりましょう。いわゆる簀巻きのぐるぐる巻きってやつや。レシピサイトにはあんま載ってへんねんけども、このレタスは塩気の調整役にもなってくれるし、結構重要やったりする。ただレタス自体は塩辛くて食べられへんくなるから、そう考えるとなんやもったいないやんな。つぎはガーゼとかで代替してもええかもしれへんな……。
 ほら、こっからは楽しい作業やで。レタス巻きされた肉塊を、準備しといた塩釜の土台の上に大切にそおっと乗っける。その上から肉塊を覆うように、残りの塩釜ペーストをすべて乗せ、手で釜の形を成形していく。おめでたい席やサプライズを演出するんなら、ナイフを使こて塩釜の表面に模様なんかを入れるのもありやな。今日はなんやろな……模様を描く気分とちゃうから、字でも書いとこか。刀なら得意やねん。任せてや。文字を書いたところを卵黄でなぞって。よっしゃ、これで下ごしらえはしまいや。な、めっちゃ簡単やろ?
 さ、ほんなら焼こ焼こ。お待ちかねのお焼きタイムや。さっそくあっためといたオーブンに塩釜肉塊を入れ、じっくり二十分間焼いていくで。ハーブと香辛料、レタスのうま味が肉塊にじっくりしみ込んでジュワッとしみしみになるのをひたすら待つ。あ、せやせや、待ってるあいだに卵黄ソース作らな。
 えーっと、さっき避けておいた残りの卵黄に、粒マスタードをお好みで適量入れます。はい完成! 簡単! このソースをかけて食べるとほんまうんまいから。びっくりするで。楽しみにしといてな。さぁて、あと二十分なにしようかな。洗いもんしながらワインでも飲むか。あー、もうほとんど空やんけ。誰がこんな飲んだん? あ、僕か。ハハハ。一本飲み切ってまうで、ほんま……。
 はい、タイムワープ!
 じつはすでに火が通ったものがこちらにあります。これ、あの某○分クッキングでよく見るやつ。やなくてね、ほんまに二十分経ちました。ほんまやで。おとなしく待ちましたわ。おめでとうございます〜、赤ワイン二本目突入です〜。いや、知らんがな。へへへ。
 ええっと、ほしたらオーブンから取り出しましょうかね。
 お? おぉ〜! え、コレめっちゃうまくできたんちゃう? 表面はこんがりきつね色。ひび割れなし。過去最高のできな気ぃするねんけど。なぁ! ……って、だぁれもおれへんのやったわ。ははは。過去最高や言うても最後に作ったの十年前やしな。ははは。
 まだまだ熱々やから、取り扱いには注意してな。このまま二十分ほど粗熱を取るから、あとは放置でオッケー。だからな、タイムリミットは二十分やで。二十分。どやろ、間に合うかな……。あ、あれ探しとかななあ。どこやったっけ、リビングやっけ。

♡ ♡ ♡

 待て待て待て、やばいやばいやばい。
 よりにもよってなんでこんな日にかぎって敵アジトが発見され、即時突入、作戦決行になるんだよ。警察と防衛隊の共同捜査で半年かけた案件だぞ。今朝の今朝までこう着状態だったろ。おかしいだろ、おい!
 ……とはいえ、発見がもう少し遅ければ、未曾有の大惨事にもなりかねない緊急事態だった。最小限の被害で済んだことはなによりである。
 改造怪獣を人為的に生みだす、マッドサイエンティスト組織の一斉検挙。今回、即時作戦決行に踏み切れたのは、潜入していた捜査員からの詳細な報告によるところが大きい。あろうことか、組織は近く日本各地の要所で怪獣テロをくわだてていた。
 捜査員の密告により、関東にある大規模工場の位置情報が明らかになり、さらには多数の改造怪獣の存在が確認されたことから、防衛隊の東方師団、主に第1部隊に緊急出動要請がかかった。
 9号討伐後、怪獣の出現数こそ減少傾向にあるものの、こうして新たな脅威が生まれては、イタチごっこのように出動する日々である。しかしそんな毎日が変わろうとしている。
 勤続三十年、隊長としては二十年になるか。功さんと同じ年齢になったいま、齢五十にしてもうじきボクは一線を退く。日本最強の部隊を後進に託し、長官の職に就くために。
 パートナーである保科には真っ先に進退を伝えた。保科はボクよりひと足先に退き、いまは討伐庁幹部兼剣術の指南役として同じ有明りんかい基地に勤務している。とはいえ、保科は指南役として全国を飛びまわっているので、一緒に過ごせる時間はいまだにごく僅かである。
「改造怪獣の件がひと段落したら、一線を退こうと思う」
 そう伝えたときの保科ときたら、それはそれはおかしかった。寂しそうでもあり、どこかホッとしたような、それでいてそれらをボクにさとらせまいと必死になっていた。アレはとかくブサイクで、この先、命が燃え尽きるその日まできっと忘れられないほどに愛らしかった。
 もともと改造怪獣の件に保科は関わっていなかったが、戦闘が長引けば幹部の招集は免れない。そんなことさせてたまるものか。防衛隊の現場のトップとして、なんとしても本日中にかたをつけるつもりだった。
 現在、保科は二日間の特別休暇中なのである。あのワーカホリックで結婚休暇すらとらなかった保科が、ようやく休暇の取得に頷いたのだ。
 というのも、今日はボクたちの、十回目の結婚記念日だった。
 ボクも今日と明日の二日間は休みをとり、特別休暇を二人でのんびりと過ごすつもりだった。今朝、目が覚めた時点までは。本当なら今朝は好きなだけ寝坊をして、近所のりんかい公園へ散歩に行き、持参した弁当を食べ、それからスーパーで買い物でもして、夜は保科の手料理を堪能するはずだったのだ。それが……。まあ、それはいい。いまさらああだこうだ言っても仕方がない。とにかくいまは一秒でもはやく自宅に帰りつかねば。
 検挙を終え、有明りんかい基地に帰還したのち「報告でもう少しかかりそうだ」と送ったメッセージには「了」とだけ返ってきていた。先ほど基地を出るまえに送った「悪い、遅くなった。これから出る。十分で帰る」には既読はついたが、返事がない。現在の時刻は日付を跨いで、零時ちょうどだ。いつの間にか、記念日は終わってしまっていた。
 はやる気持ちでマンションのエントランスを抜け、人の気も知らないエレベーターの速度に苛々しながら、ようやく自宅にたどり着き、玄関ドアにカードキーをかざす。呑気なピピッという電子音と同時にドアを開け、
「ただ――」
 ただいま、と言おうとして途中で言葉が途切れた。自宅にもかかわらずこっそりと滑り込んだ玄関のたたき、その向こうにエプロン姿の保科が立っていたのだ。凶器――じゃない、金槌を持って。
「おかえりなさい、弦くん」
「な、なぁ保科。落ち着け、話をしよう」
「保科? も〜なに言うてるんですか、弦くんも僕もおなじ鳴海姓やろ。鳴海になってから今日できっかり十年経ちました」
「あぁ、うん。そうだった。保科は鳴海だ。いやだから、宗四郎……」
「そんなとこで立ってらんと、はよ靴脱いで上がりいや。自分のお家(うち)やのに。なんやおかしな人やなぁ」
 物腰はマシュマロ、いや羽二重餅かのようにとても柔らかい。ふにゃふにゃしているし、機嫌よさそうに微笑んでいる。だがそれが逆にこわい。というか、その手のなかでこねくり回して遊んでいる凶器……じゃなくて金槌をまずなんとかしてくれないか!
 ボクは金槌の行方を気にしつつ、靴をきれいに揃えて脱ぎ、廊下に上がる。保科は相変わらず日向ぼっこをする猫のようだ。
 廊下に上がったことで保科との距離が近づき、そこでようやくこの異常事態の理由に気がつく。むしろ、どうしていままで気がつかなかったのだろう。
 酒だ! こいつべらぼうに酔ってやがる!
「……宗四郎、結構飲んだろ」
「ええ、なんで? そんな飲んでへんよお。赤ワイン二本? くらいやし」
「ダメだもうベロベロだ」
「ベロベロちゃうし」
「あぁ、そうだな。ベロベロとちゃうよな。よしよし、ほらボクに掴まっていいから行くぞ。いい匂いがしてる。食事を作ってくれてたんだろ」
 うん、とうなずく愛らしいオカッパ頭にキスを落として、腰を抱きダイニングへ向かう。ボクの帰りを待ちながら料理を作ってくれていたのかと思うと愛しさが募るし、こんなに酔うまで酒を飲むなんて。保科が酒に酔った姿なんて、これまでほとんど見たことがない。どこまでも真面目で職務に対して誠実な男なのだ。保科には悪いが、十年経ってもなお、こうして思われているのは気分がよく、やはり嬉しいものである。
 ひっつき虫を身にまとったまま、温かな香りが立ちのぼるダイニングテーブルへとたどり着く。ボクと保科の二人の家。それは幸せな食卓そのものだった。
 しかし、そこに広がる光景に、思わずボクは顔を引き攣らせた。サッと血の気が引いていく。サラダやシチュー、パンにワイングラスが並ぶ豪勢な食卓の真ん中に、メインディッシュと言わんばかりにそれは鎮座していた。
 まるでボクに示すように、

 〝誠意〟

 とデカデカと書かれたそれは――
「本日のメインディッシュは、弦くんの大好きな牛肉の塩釜焼きやで。ほおら、これで叩き割ってな?」
 金槌を差し出してくる彼は、先ほどまで日向ぼっこの猫ちゃんだった愛妻と同一人物だろうか? いや、間違いなくボクの愛している保科だ。
 はっきりした声と開眼した強烈なまなこに射抜かれ、ボクは金槌を片手になす術もなく硬直した。ただただ、保科とこの日を祝い、二人で過ごしたかっただけなのだ。どうしたら許してもらえるのだろうか。やはり誠意か?
「五分遅刻……食べ終わったら覚悟してや」
 なにもかもを見透かしたように、にこりと口角を上げた保科がボクの耳元で囁いた。

end
Xの鳴保小倉企画で書いた初稿を手直ししたもの。技量の問題で二人が五十代に見えないのですが、五十代と言い張ります。好きなんです。おじになった推しCPが。
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